・Erexim法
タンパク質の糖鎖修飾は他のどの翻訳後修飾よりも複雑な構造をしています。例えばリン酸化のように1付加部位にリン酸1分子というような単純な関係ではなく、一カ所の糖鎖付加部位に通常数種類~数十種類もの糖鎖が付加されています。
これまでは糖鎖を酵素で切り離してから蛍光ラベルを施し、HPLCや質量分析計で測定する方法が主流でしたが、複数箇所に糖鎖が修飾されているタンパク質やミクスチャーの場合、どの位置の糖鎖がどのような構造割合で構成されていたかという重要な情報が失われてしまいます。また、分析にも時間が掛かり、測定濃度幅(ダイナミックレンジ)も狭いため、観測できる糖鎖の種類も量の多い構成成分に限られていました。
そこで、私達の研究室では糖ペプチドをMS/MS分析に供するときに生成する様々な種類の糖鎖フラグメントイオン(オキソニウムイオン)に注目しました(下図右端のリスト)。これらオキソニウムイオンの種類と生成量の情報から、元の糖鎖構造を推定でき、各糖鎖構造の構成比率も一度に求めることが可能な高速高感度分析法が、Energy resolved oxonium ion monitoring (Erexim)法です。
トリプル四重極型質量分析計を用いてオキソニウムイオンの量を測定する際、衝突エネルギーを次々に変化させながらスキャンすることにより、各種糖鎖構造の物理化学的な「壊れやすさ」を知ることができます。これによって、従来測定が大変困難であった構造異性体(構成糖、質量が同じで、結合様式だけが違う糖鎖。例えば下の二種類。)の識別、定量化までも可能となりました。
糖鎖は抗体医薬品や、その他バイオ医薬品の効能や安全性に大きく影響を及ぼすことが知られているため、Erexim法を用いた医薬品の品質評価試験が実用化されつつあります。
このErexim分析法を応用して、前立腺がん特異性が非常に高い「PSA G-Index検査法」を開発することにも成功しています。PSA G-Indexは広く前立腺がんバイオマーカーとして使用されている血中PSAタンパク質を、その量ではなく質(糖鎖構造の違い)で診断する手法です。現在のPSA検査は早期検出感度が大変優れている一方で偽陽性(前立腺肥大症などがんではない疾患なのに陽性を示すこと)が非常に多いことが問題となっていました。実際、グレーゾーンと呼ばれる4~10 ng/mlというPSA検査値の範囲では本当にがんである割合は20~30%程度です。しかし、これを確定させるための診断として侵襲性の高い前立腺がん生検が多数行われているのが事実です。
我々はErexim分析法で60名の前立腺がん患者、前立腺肥大症患者さんの血中PSA上糖鎖構造を定量化し、マルチシアリルLacdiNAcという特殊な構造が前者で特異的に多く検出されることを見出しました。これを簡便なスコアにしたのがPSA G-Indexです。上の60名は現在のPSA検査では全員陽性(グレーゾーン)と診断され、前立腺生検を行わないとがんかどうかの判別が困難だった方達ですが、PSA G-Indexによって59名が正しく血液検査だけで前立腺がんか非がんかが判定できました。
当検査は国内大手診断企業によって実用化が進められています。
→Analytical chemistry, (2012) 84, 9655.
→Proteomics Clin Appl, (2013) 7, 607.
→Analytical chemistry, (2019) 91, 2247.
→Analytical chemistry, (2022) 94, 15948.
HexNAc : N-アセチルヘキソース、Hex : ヘキソース
138、163などの数値はオキソニウムイオンの質量数
・IGEL法
タンパク質の糖鎖修飾は、翻訳後修飾の中でも最も頻度が高いものとして知られ、癌細胞の転移や病原体の感染など様々な生理現象を制御しています。特に現在使用されている腫瘍マーカーの半数は癌特異的糖鎖抗原を利用したものであり、がんの進行に伴う糖鎖構造の変化(糖鎖の癌性変化)は診断マーカー、予後マーカーとして重要な意味を持っています。私達はこうした癌性糖鎖を網羅的に同定する分析法を開発しています。
質量分析を使ったプロテオーム解析では、細胞抽出液や血清といったタンパク質溶液をトリプシンなどの消化酵素でペプチドの状態(500~4,000 Da)にしてから測定を行います。これは質量分析計の測定可能レンジがこのくらいだからです。
このようなペプチドサンプルの中で、糖鎖修飾を受けた「糖ペプチド」を構造特異的にレクチンカラムにトラップします(下図参照)。レクチンとは、糖鎖の様々な部分構造を特異的に認識、捕捉できるタンパク質ファミリーで、数百種類も知られています。これをビーズに固相化してパッキングしたものがレクチンカラムです。
レクチンカラムに結合した糖ペプチドは、N型糖鎖を根元(還元末端)から切り離す酵素N-glycosidaseを使って溶出します。これにより、非特異的にレクチンカラムに結合したペプチドの溶出を防ぎ、糖鎖が結合していたペプチドのみが高純度で精製できます。
さらに、溶出反応だけを重水中で行うことによって糖鎖付加部位に+3Daの安定同位体標識を施すことができ、質量分析にて容易に糖鎖付加部位が同定できます。
この一連の分析方法を、Isotopic glycosidase elution and labeling on lectin-column chromatography (IGEL)法と命名しました。IGEL法を使用すれば、血清や膜タンパク質抽出液などの複雑なサンプルから疾患に伴って変動する糖鎖構造とその部位を一度のLC/MS/MS分析で網羅的に同定することができます。
→ Mol Cell Proteomics, (2010) 9, 1819-1828.
→ Proteomics Clin Appl, (2013) 7, 607-617.
エクソソームは細胞外分泌小胞の一種とされ、直径40~100 nmの脂質二重膜で囲まれています。一般的な体細胞の大きさは直径数十µmですから、その1/1000ほどのサイズです。最近の研究でこの小さな分泌小胞が、がんの遠隔転移や微小環境形成に大きな役割を果たしていることが明らかになってきました。癌細胞がエクソソームにタンパク質やマイクロRNA(miRNA)といった機能性分子をパックし、血流に乗せて様々な臓器に送り込んでいることが分かったのです。
この癌由来エクソソームの働きを阻害できればがんの転移抑制薬になる可能性がありますし、はたまた中身を薬に入れ替えた人工エクソソームを作成すれば転移巣を狙い撃ちできるドラッグデリバリーシステム(DDS)になる可能性もあります。
私達が専門とする診断の分野でも、エクソソームは癌細胞の分子的特徴がコピーされた小胞なので、血中を流れるエクソソームから各種固形癌の存在や組織型、悪性度などの特徴が判定できるのではないかと大変期待されています。(リキッドバイオプシーとも呼ばれています。)
しかしながら、血清など高濃度タンパク質溶液から微量のエクソソームを単離するのは容易なことではありません。プロテオーム解析ではわずかに血清タンパク質が残ってしまっても、その量はエクソソーム含有タンパク質よりはるかに多く、エクソソームの構成タンパク質を十分に検出することはできません。そこで、私達は三種類のエクソソーム単離精製ツールを開発して多検体質量分析に耐えうる高精製度と高再現性を得ることに成功しました。
☆抗体を利用した精製法
・CD9-MSIA Tips
→Scientific Reports, (2014) 4, 6232.
・ExoTrapスピンカラム
コスモバイオ、SHI-EXO-K010(10カラム)
☆サイズ排除法を利用した高純度精製法
GLサイエンス、5010-21395
こうした独自のエクソソーム精製技術と最先端の質量分析技術を融合して、これまでに以下のような研究を行ってきています。
・肺腺癌特異的バイオマーカーとしてエクソソーム上CD91、CD317タンパク質を同定
→Scientific reports, (2014) 4, 6232.
日本経済新聞2015年12月28日
・ピロリ菌病原タンパク質CagAがエクソソームに乗って全身に運ばれている可能性を発見
→Scientific reports, (2016) 6, 18346.
日本経済新聞2016年1月12日、京都新聞2016年1月26日、科学新聞2016年1月22日
・新規腎臓癌早期診断マーカーとしてエクソソーム上AZU1を同定、機能の一部も解明
→Int J Cancer, (2018) 142, 607.
日本経済新聞2017年10月4日、朝日新聞2017年10月5日、読売新聞2017年10月12日
・新規大腸癌早期診断マーカーとしてエクソソーム上CAT1を同定、大腸癌微小環境における血管新生に関与する機能をメタボローム解析などを通じて解明
→Mol Cancer Res, (2021) 19:834, Editor's Highlight.
我々がこれまで培ってきた最高水準のタンパク質解析技術を多くの分野で利活用してもらうために、国内外の研究室から受託解析や共同研究も積極的に受け入れています。
(翻訳後修飾解析全般、結合タンパク質同定、ネットワーク解析、治療・診断標的タンパク質スクリーニング、など。)
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